人こそ人の鏡
先日、ある会合で、私は隣に座った人に少々うんざりした。
場の空気が読めない鈍感さ、自惚れの強さ、他人を見下すような物言い、共感能力の無さ、“自分は知らない”ということを知らない傲慢さ……
ああ、嫌だなあ、大人しくしてくれないかなあ、と思いながら耐え忍んだ。
しかし、「人こそ人の鏡」なのだと思う。
人と接していて、自分の中で嫌な感情が湧いてくるとき、その嫌な要素は自分の中にも必ずある。
他人の持つ嫌な要素が、自分の中にある同様の要素と感応しているということだ。
「人のふり見て我がふり直せ」という諺もある。
楽しい愉快な人とだけ接していられたらハッピーだけど、たまには嫌な人と接することも必要なんだなあと思う。
ぬるま湯的な居心地の良さに浸ってばかりいると、だんだん自分の欠点にも気づかなくなってくる。
嗚呼、今日も苦くてコクのある珈琲が旨い!
そういえば、先日ブログで紹介した合気道十段の引土先生は、動画の中でこう仰っていた。
「相手を見てはいけない」
「相手は敵ではない。自分の魂を磨くところの砥石だ」
場の空気が読めない鈍感さ、自惚れの強さ、他人を見下すような物言い、共感能力の無さ、“自分は知らない”ということを知らない傲慢さ……
ああ、嫌だなあ、大人しくしてくれないかなあ、と思いながら耐え忍んだ。
しかし、「人こそ人の鏡」なのだと思う。
人と接していて、自分の中で嫌な感情が湧いてくるとき、その嫌な要素は自分の中にも必ずある。
他人の持つ嫌な要素が、自分の中にある同様の要素と感応しているということだ。
「人のふり見て我がふり直せ」という諺もある。
楽しい愉快な人とだけ接していられたらハッピーだけど、たまには嫌な人と接することも必要なんだなあと思う。
ぬるま湯的な居心地の良さに浸ってばかりいると、だんだん自分の欠点にも気づかなくなってくる。
嗚呼、今日も苦くてコクのある珈琲が旨い!
そういえば、先日ブログで紹介した合気道十段の引土先生は、動画の中でこう仰っていた。
「相手を見てはいけない」
「相手は敵ではない。自分の魂を磨くところの砥石だ」

